【スタッフブログ】スタッフの声⑦「自分は『世界を無視しない大人』だったか」-齋藤雅治

国際協力に関わったきっかけについては、他の場でもお伝えしたことがあります。

 

それは、高校生の時に80年代のエチオピアで大飢饉で人々が苦難するニュースを見て、当時一番好きな科目だった「英語を使って」将来そうした人々を救う仕事をしたいと思ったことです。そして、大学受験は、模試判定では✕だった(駅伝で有名になった)大学にまぐれで受かりました。

 

その後、開発経済学の教授のゼミに入り、就活の時は国際協力といえば事業団だろうと、当時はあまり他の選択肢は真剣に吟味せずに第一志望に入ることができました。

 

ニジェールにて、Cash-for-Work(労働対価による支援)のプロジェクト実施中のもの。齋藤が撮影。

 

ODA(政府開発援助)に10年間関わる中で見えてきたのは、自分の仕事と、裨益する現地の人々との間の隔たりの大きさで、特に退職前の3年間は西アフリカのセネガルに駐在していましたが、貧困に苦しむ人々の実情に触れる機会がほとんどないことに違和感を覚え、彼らの視点からどのように暮らしをより良くしていくか研究したくなって修士課程進学のために退職し、帰国後は国際協力NGOでまさに人道支援の現場に身を置いてきました。ODAの仕事も、もう一つのNGOでの仕事も、それぞれに大きな役割と意義があるに違いなく、これまでこれを担ってきている人々に敬意を表します。

 

同じくNGO時代のニジェール派遣時の写真。右が齋藤。

 

しかし、コンフロントワールドに初めて出会った瞬間のことは、今でも忘れません、今年の5月4日に、代表の原さんが日本版ハフィントンポストに投稿したブログ「『アフリカの問題なんかより日本の問題に取り組め』と私を批判するあなたへ」を読んだ時です。

 

なかなか信じがたいかもしれませんが、その時の「心揺さぶられ感」―原さんの言葉でいう「ワクワク感」―は、今までに経験したことのないものでした。そして、「自分はこれまで『世界を無視しない大人』だったか」と自問しつつ、「スタッフとして団体の活動に年甲斐もなく携りたい」と訝しいエントリーフォームを送りつけ、幸いにも若人の輪に入れてもらい、今日に至っています。

 

百まで生きられるならまだ道半ば。どえらいヤツに出会ったもんですが、若い者に負けず団体内で旋風を巻き起こす、その中心にいられるような、老害をまき散らさず(笑)人の役に立つ存在を目指します。

 

最後に、コンフロントワールドでは、不条理の無い世界の実現を応援してくださる「マンスリーパートナー」を大募集中です。今年中に100人達成を目指してますが、苦戦中です。恥も外聞もかき捨ててぶっちゃけますが、NPOを立ち上げて、新たなチャレンジに取り組むには「資金」が必要なのです。みなさんのご協力をどうぞよろしくお願いします。

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また、国際協力について自由に話せる場として「国際協力サロン―Synergy―」も運営しており、月1回のオフ会もやっています。こちらも年内に会員50人を目指していますので、ぜひご入会ください。

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執筆:齋藤雅治

 

●自己紹介

齋藤 雅治(さいとう まさはる)

 

1964年東京生まれ。1987年3月青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科卒業。

同年4月国際協力事業団(現国際協力機構)入団。研修事業部、医療協力部、セネガル事務所在勤の後、1997年5月に留学のため退職。1999年5月米国コロンビア大学国際公共政策大学院にて国際関係修士号(経済政治開発専攻)取得。

2002年7月に特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパンに入社。アフガニスタン、シエラレオネ、インドネシア、リベリア、南スーダン(2011年7月の独立以前から)、ミャンマー、東ティモール、ハイチにおける人道支援に従事した他、日本国内の災害への対応では、2004年中越地震の際は本部で情報のハブを務め、2007年の中越沖地震、2011年の東日本大震災の際には即ちに現地入りし、被災者支援を展開した。その後、2012年のニジェール干ばつ被災者支援の事業統括を務めた。

2013年11月にフィリピンを襲った台風ハイエン被災者支援に関わった後、2014年4月に一般社団法人アジアパシフィックアライアンスに出向し、同年7月から現職(事業部 部長)。2015年8月に佐賀県佐賀市を本部に新たに立ち上げた特定非営利活動法人アジアパシフィックアライアンス・ジャパンの事業部部長を兼務している。

2013年3月20日(水)、日本政府代表部、ブラジル政府代表部及び国際平和研究所の共催でジャパン・ソサエティーにて行われた「国連PKOの施設部隊の進化する役割:その課題と可能性」をテーマとするPKOに関するセミナーでは、国連のミュレPKO局長(当時)とともに、PKO要員として大地震後のハイチに派遣された自衛隊の施設部隊と初の連携プロジェクトを実施した日本のNGO代表としてパネリストとして登壇した。また、「世界に向けたオールジャパン ―平和構築・人道支援・災害救援の新しいかたち―」内外出版(株)上杉勇司・藤重博美・吉崎知典・本多倫彬 編では、「第11章ハイチ」を陸上自衛隊の浦上法久氏と共同執筆している。

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