【スタッフブログ】不条理と闘った牧師の決断

コンフロントワールドは、「不条理のない公正な世界の実現」というビジョンを掲げています。この記事では、不条理の主要な原因の一つである暴力に関して解説すると共に、不条理と闘った過去のある人物の決断を追います。

 

南スーダンでは、内戦という形を取る暴力が止んでいません。暴力を語るのは、困難が伴います。そこには二つの理由があります。

 

一つ目は、暴力が必ず被害者を生む、貧困と並ぶ忌避されるべき不条理であると共に、様々な形で正当化されるためです。暴力は国内的には抑圧という形で、対外的には戦争という形で表れます。無論、抑圧も戦争も為政者によって様々な形で正当化されます。ナチスはユダヤ人虐殺を彼らなりの論理で正当化していました。サダム・フセインは湾岸戦争の際にかつての植民統治による不当な線引きを批判していました。現代の日本人のほとんどは、ナチスやフセインが掲げる正義に理解を示しはしないでしょう。しかし正義を相対的に捉え、誰もが正義を唱えられるという見解に立つことは、ナチスやフセインにも相応の言い分を認めなければならなくなることに、気付いている人は少ないでしょう。

 

二つ目は、不正な暴力と正当な暴力を切り分けることが困難なためです。現代の先進国の住民の人権感覚においても、犯罪者を拘禁することは受け入れています。戦争が国際法で違法化されるまでは、戦時には同国人は殺してはいけませんが、交戦国の国民は殺すことが奨励されていました。また国によって法律が異なるので、警察が誰を犯罪者として逮捕するか、そして犯罪者をどのように扱うのが正当かも異なります。ある国では「名誉殺人」は正当な暴力ですが、先進国の人々の人権感覚に照らせば、不正な暴力でしょう。

 

暴力の善悪を考察するのに有用な人物の生涯を簡単に紹介します。

 

ディートリヒ・ボンヘッファーは、1906年に生まれたドイツ人の神学者です。

 

photo by Bundesarchiv, Bild  146-1987-074-16  / CC-BY-SA 3.0

 

 

秀才として知られ、21歳で神学の博士号を取り、神学者・牧師として活動を始めます。1933年にヒトラーが政権に就くと、当初から反対運動に従事。牧師としての抵抗運動を行います。

その後、彼が取った行動が現在においても論争を呼んでいます。1940年、彼はヒトラーを暗殺して権力の座から落とそうと画策していた軍人のグループに参加します。結局計画は何度も失敗し、ボンヘッファーは1943年に逮捕され、1945年4月に絞首刑に処されました。ソ連軍がベルリンを陥落させる、わずか1カ月前でした。

 

ボンヘッファーが追い込まれた決断は、苛酷です。彼はイギリスの植民地支配に「非暴力・不服従」で抵抗したマハトマ・ガンディを尊敬していた平和主義者だと言われています。なおかつ殺人はキリスト教においては、「十戒」によって禁じられています。一方ナチスはユダヤ人の公職追放や教会の国家管理化、その後の虐殺など、見逃すことの出来ない不正をはたらいていました。選べる選択肢は、殺人という悪か、ナチスの不正の黙認という悪しか残されていませんでした。

 

現代でも私たちは同じような決断を迫られます。ある国で内戦が激化し虐殺が懸念される情報が入った場合、虐殺を止めようと暴力を用いることは是か非か、という「人道的介入(humanitarian intervention)」(注)の問題です。虐殺を見過ごす悪と、軍隊を派遣し暴力を用いる悪の間でどちらを取れば良いのか。ボンヘッファーの生涯は、現代を生きる私たちに重い問いを投げかけます。

 

私たち現代の日本人は、労働やボランティア活動や寄付によって、他者を助けることが出来ます。人は誰しも良いことをしたいと願っています。私も小さなことから、堂々と胸を張って良いことを実行していきます。

 

注:これは狭義の解釈で、広義には軍隊を用いずに領土政府の許可なく、人道支援活動を行うことも、「人道的介入」と呼ばれている。

 

 

 

記事執筆:広報ファンドレイジング局 高橋

 

 

【参考文献】

S.R.ヘインズ/L.B.ヘイル著、船本弘穀訳(2015)『はじめてのボンヘッファー』教文館

村上伸(1991)『ボンヘッファー――人と思想』清水書院